念願の引越し、そしてクリスマス
とうとうこの日が来た。
引っ越すのである。
「見つめる超大型犬」に「謎の青年チュウチュウ」、「激辛おかず」に「激薄みそ汁」、「底抜けベッド」に「村上のいびき」等、この家は私に多種多様な経験値を積ませてくれた。
この「経験値」が将来の役に立つかどうかは定かでないが、ネタにはなるのでというか既にネタにしてるので、かける言葉は「ありがとう」ということにしよう。
ということでおかず写真をここで1つ。
「干豆腐(かんとうふ)」というらしいが、食感はゴムみたいな感じで個人的にはあまり好きではない。
だがこの日は珍しく辛くない味付けで、総合評価としては非常に「マシ」なほうであった。
また写真はないが、ある時には生地から作る自家製肉まんみたいな料理もあり、それは割と美味しく食べたのだが、村上に関しては「こんなまずい肉まんを食べたことがない」と息を止めて食べていた。
人それぞれ味覚は異なること改めて感じたのである。
そしてこの食事たちももう食べることはない。
そう思うと、少し恋しく・・・
ならない。
さて。
いよいよお別れの時がきた。
私は、「こういうときは手紙とかあった方がいいのかな」などと思い、正直1ヶ月だけで何を書けばいいのかわからなかったが、マザーファーザー、そして11歳のだいふく君に手紙を書き渡したのである。
日本に少し興味がありそうだっただいふく君への手紙には、「もし日本に来ることがあったら連絡してね」などとメールアドレスを書いたが、まぁないだろう。
そしてこの写真を撮り、マザーが村上と私を次の家の近所まで送ってくれることになった。
ちなみにこの写真はだいふく君が撮ってくれたのだが、4人での写真は撮らなかった。「なんで一緒に撮らないのかなぁ・・・そういう教育方針なのかしら」と思っていたが、まぁ要求されなかったのでいいだろう。
私と村上も「写真をぜひ一緒に撮りましょう!!」という気持ちになるほど彼らと関わりがなかったのである。
そして写真の後、車に乗り込み動き出したあたりで、マザーが「だいふくは本当にあなたたちのことが好きだったのよ〜」と語りだし、私は内心「そんなに関わってないけどな・・・」と冷静に聞いていたのだが、
マザーが突如「だいふくとあなたたちが一緒に写ってる写真撮るの忘れた!!」と言いだした。
わざとじゃなかったみたいだ。
まぁ仕方がないのだが、せめてだいふく君の心の中に私たちが思い出として残っていると嬉しい。
(残ってるのかなぁ・・・)
ところで、私と村上の次の家であるが、奇跡的に意外と近いのである。
なので、マザーには私と村上の家の間あたりで降ろしてもらうことにした。
村上もそれなりに荷物が多く大変そうだったが、超過料金を支払ってカナダに渡ってきた私の荷物は村上の1.5倍くらいあり、全ての関節がもげそうだった。
その重たい荷物を引きずりながら、ランチができるところを探した。
村上ともこれでしばらく会えないのである。
会えなくなることを考えると、寂しい気持ちになり涙を堪えられない、ということは微塵もないのだが、あの刺激的な食事を分かち合った仲である。
最後くらい「刺激的激辛中華料理」ではない昼食で彼との食事を楽しみたいのだ。
そう思いながら車を降りてから30分、こんなにも食べる場所がないエリアだとは思わなかった。散々探しまくり、終いにはバスに乗り到着したのがここである。
マクドナルドである。
馬鹿にしてはいけない。
日本ではファストフードの鏡であり安い食べ物の代表格だが、カナダではそうでもないのである。
実はカナダマクドナルドはこの日が初体験だった私は、日本になさそうな上記写真のハンバーガーを頼んだ。名前は全く覚えていないがBLTにフライドチキンを足した全部入れてやったぜ的なものだったと思う。
このハンバーガーセットでおおよそ1200円するから怖い。
普通のローカルハンバーガー屋さんと変わらないじゃないか。
まぁ味はそれなりに美味しかったが、次から注文するものは少し考えようと思う。
約1時間、我々はホームステイの薄い思い出を語ったり、横の座席の変な家族にお金をせびられたり(これで2回目だぜ)、それぞれの今後の留学プランを発表したり、それなりに有意義な時間を過ごした。
そして、村上との別れの時間がやってきた。
村上「ホワイトロックっていう国境近くの町に行きましょうよ、数週間後でも」
私「うん、そうしよう」
村上「そしたら元気で」
私「うん、バイバイ」
こうして私はしばらく彼と会わないだろうと思っていたが、私たちは数週間後に会う約束をしたため、あっさり解散した。
だが、約束の日は天気がすこぶる悪く、予定は延期で未定になり、結局彼とはしばらく会わないことになるのであった。
村上よ、しばらくである。
そうして、お互い去る姿をしばらく見つめることもなく、それぞれの新しい家と向かった。
約束の午後3時。
約束というよりは大体その時間に着くと思うと伝えていたのだが、優しいオーナーは「時間わかれば駅とか迎えにいくよ」と言ってくれていた。
だが、何時に最寄駅に到着するか定かでなかったので、お断りした。
のだが、以前にも書いたが次の家は少し丘の上にあるため、私の重量級キャリーケース×2にパンパンのバックパックで総重量130kg超の私は死ぬ思いだった。
断ったことを後悔しながら、約15分坂を登り続けてようやく辿り着いたのである。
「ようこそ新しいお家へ」と言われたか覚えていないが、私の心はそう語っていた。
セントラルヒーティングで全体が過ごしやすい温度に保たれているこの家は、入った瞬間から天国だった。
上階に住む2人は旅行中ということで、普段は上階にいるワンちゃんもお出迎え。
名前はオスカーくんで人懐っこい。
優しいオーナーに、可愛いオスカー、心地いい温度に、綺麗な室内。調味料だって洗剤だってなんだって使っていい。
もうこの上ない家だ。
なんなら実家より心地いいかもしれない。
残りの5ヶ月はこの家で過ごすことになる。
この日は12月上旬。
あと2週間ちょっとでクリスマスだが、私にとってはこの家に住めることが大きなクリスマスプレゼントになりそうだ。
ところで、クリスマスといえば街は11月後半を過ぎたあたりから徐々にクリスマスムードになっており、スカスカのしょぼいツリーや立派なツリーが出現したり、イルミネーションにクリスマスマーケット、ブラックフライデーやボクシングデーなどのセールも開催される。
バンクーバーに来て間もない頃の美術館前は何もなかったが、
クリスマス前の美術館前は立派なツリーがそびえていた。
強烈なオノ・ヨーコの写真がツリーで隠れていい感じに馴染んでるなと思ったのは私だけではないはず。
オノ・ヨーコ感は微塵も感じないツリーと私たちだけの写真も撮れるようになり、書きながらだんだんオノ・ヨーコと言いたいだけになってきた。
対してこちらは向こう側が見えるしょぼいツリーもあった。
ここは確かくるっと1周できる展望台だったが、やるならオノ・ヨーコのように本気を出してほしい。(?)
続いてこちらは、クリスマスマーケット。
1回おおよそ$20で入場でき、11月中旬〜クリスマスまで開催されている。
ドイツの伝統的な食べ物や雑貨などが多く、このマーケットもバンクーバークリスマスの風物詩になっており、大多数の人がシーズン中1度は訪れるだろう。
私は数あるドイツ料理の中、なぜかハンガリーの「チムニーケーキ」というものを選んで食べていた。
美味かったが、ソーセージとかなんで選ばなかったのかな。
さて、最後はクリスマスイヴの私である。
学校は冬休みに入り、クリスマス当日はほとんどの店が閉まるとの話を聞き、我々もお金が十分でないため、事前に買った安い材料でそれっぽくなるような料理をこしらえた。
ここにはお馴染みのメグに、もう1人仲良くしてくれている「はるき」という女の子と3人でしっぽりクリスマス会である。
雪も降ってきて、正真正銘の「ホワイトクリスマス」である。
沖縄出身のメグは、この雪の状況が非常に珍しかったらしく、童心に帰って雪だるまを製作しており、私とはるきも一緒になって楽しんだ。
それぞれの悩みやクラスの子たちの恋愛事情、今までの経験などいろいろ語り、ゲームをしたかしていないか忘れたが久々にはしゃいだ夜であった。
ちなみに12月はバンクーバーに到着してから、2ヶ月目。
こちらの生活に馴染めているかといえばまだまだだが、なんとか生きていけることだけは実感した。
「いろんな初めて」を経験した2021年がまもなく終わり、新しい年を迎えようとしている。
Nice post.
Thanks