学校生活の始まり

ホームステイ先やスタンレーパークでの惨事、銀行口座開設の手間、ビザ発給での無謀な待機時間など、「楽しい」よりも「疲れるなぁ」が勝っているが、学校生活はどうか。

あっさり終わった入学日以降は、眠たい目をこじ開けながら同じバスに乗り同じ時間に学校に到着する日々が続いていた。

だが初めて通う語学学校は、もちろん基本英語でしか喋らないので、学校内での生活はそれなりにもどかしい思いもしていたのである。

私は10段階にレベル分けされたクラスの中の、下から3つ目のクラスに配属された。

これを大きく分けると、

初心者レベル(Beginner)・・・Lv.1〜Lv.4

中級者レベル(Intermediate)・・・Lv.5〜Lv.8

上級者レベル(Advance)・・・Lv.9〜Lv.10

の3つに分けることができる。

つまり私は、下の上中、中の下の下の下、上から見た鼻くそレベルのクラスを受けることになっているのだ。

ただ、知っておいてほしい。

約2年前、語学留学に行こうと決めた時の私のレベルは尋常ではなかった。

その当時、オーストラリアに学生ビザで行こうとしていたのだが、その申請に「なぜ英語を勉強したいのか」という意気込み的なレポートをオーストラリア政府に提出しなければならなかった、もちろん英文で。

だが尋常ではないレベルの私は、文章を書くどころかもう何もわからない、Be動詞と一般動詞の違いもわからない、「Yes」「 No」そして「So-so」しか知らなかったのである。

そんな奴が文章をしかも英語で書けるはずがなく、英語に定評のある友達に「作成するのを手伝ってほしい」と依頼した。だが、その文章のほとんどを彼が作るという無惨な結果を出したのである。

そして、そのレポートをエージェントの担当の壇蜜似お姉さんがさらに手直しして提出するという大人として情けない流れであった。そこまで手直しするなら金を払うから作ってくれよと大人なので思ったが、それではいけない、「私は英語を学びに行くのである」と甘える自分に厳しく接した。

その後、コロナで渡航ができなくなってからカナダに来るまでの間、参考書を可能な限り毎日1セクションやり、そこで習った文法を使って例文を作り「英語定評友達」に添削してもらっていた。その他、オンライン英会話をしたり可能な限り英語に触れたのである。

その結果、Lv.3のクラスには入れたのだ。「1」ではなく「3」なのである。過去の自分では想像できないのだ、学生生活でほぼ赤点を取り続けていた英語を少し向上させることができている自分を褒めてあげたい、「鼻くそ」の中でも「希望のある鼻くそ」として授業に臨む所存である。

そう思って受けた1回目の授業で衝撃を受けた。クラスの半数がブラジル人やメキシコ人などの中南米出身で、彼らが異常に喋るのである。

私たち日本人が「2〜3単語」で終わる会話を1分も2分も喋っているのである。

それを聞いた私は、「完全にこのクラスのレベルは私に合っていないのではないか・・・」と思い始めた。

言葉が出てこないのである。

難しいことを聞かれているわけでもないが、日本語で意味を調べる余裕もなく会話が繰り広げられる、というか会話をしているときに「この時この文法を使って・・・」などと考えることなんてないので、口を開けて頷いていた。

だが私もすでに32歳である。それなりに生きてきており、他の生徒とはおおよそ10歳も違うのだから喋れなくとも、年上としての誠意は見せたい。

彼女のストーリーに投稿される様子

そんな中、毎日授業を奮闘しながら受けて束の間の休憩時間中、いつも隣のメキシコ女子(18歳だったかな)が、優しくしてくれた。

彼女は度々ストーリーに投稿する動画に映れと私に催促してきた。12歳も離れている少女と私の投稿動画である。

「その投稿、誰が見たいのか」と毎回思っていたが、せっかくなので私も負けじとストーリーに彼女との動画を投稿したところ、ある1人から「ステイシーオリコ」に似ているとコメントをいただいた。

ステイシーちゃんはいつも10時台の休憩に、ホームステイ先から持ってくるランチのフルーツやらサンドイッチやらコンビニで買ってきた酸っぱ辛いとんがりコーンみたいなスナック菓子などを頬張る。

ティーンはお腹が空くのかわからないが、「一緒に食べる?」といつも気遣いをしてくれた。

ステイシーオリコ、懐かしいね。

1度だけ、「焼く前のクッキー生地をそのまま食べる」みたいなアイスクリームを「食べる?」と気遣われた時は1口もらったが甘すぎてねっちゃりしてステイシーを疑ったことがあったが、彼女も残していたので、あれは食べ物ではないと感じた。(個人の感想です)

見た目はいいのだが、ねっちゃりしていて「あぁ〜!」と声を上げるほど甘かった。「クッキードウ」というらしい。

こんなほっこりエピソードもあったり、

30周年を祝うチープな写真ブースもあったが、口髭の撮影だけにとどめた。

入学して早々、ILSCが開校30周年だかなんだかで、休憩時間に大きなホールケーキをみんなで食べよう的なイベントもあったりした。

このケーキがこれまた死ぬほど甘くて、全てのクリームに砂糖のじゃりじゃりが残っているタイプのケーキだった。

この時、「カナダ人の味覚は寒さでバグってんじゃないのか」と思っていたが、学校の先生が「誰がこんな甘いケーキ選んだのよ、私食えねぇ」的なことを言っていたので、単純にケーキ担当の舌がおかしいだけだった。

ケーキのくせに丸で囲っているあたりの色をふんだんに使うから視覚からもしんどい。

上記の通り、楽しいこともあるし、もどかしいこともあるし、30歳を過ぎてこんな思いをするんか・・・みたいなこともあった。

1番もどかしい思いをしたのは、「日本人とどう関わるか」である。

英語に苦手意識はあるが、英語を学びにきている以上、日本人と友達になると英語を話すのに不利になることを懸念していた。

学校の国籍内訳は6割が日本人と韓国人、3割が中南米人、1割がその他のみたいな割合で、日本人を避けて通るのは非常に難しいのである。(コロナ禍でこういう割合になっている学校が多かった、2021年11月現在の話)

ただ、「日本人だから友達にならない!」と日本人=悪と考えてしまうのも違う気がするし、かといって日本語で喋りたがる人と一緒にいてしまうと、自分自身が堕落してしまいそうで・・・

こういう思いを毎日していた。

それゆえ、日本人の生徒と仲良くしていいのか、喋らない方がいいのか、毎日迷っていたのである。

そんなある日、あることに気づいた。

いつも同じクラスの後の席にいる日本人の女の子、彼女は英語を常に積極的に喋ろうと努力しており、実際に私より話せていた。

なぜ同じクラスだったのかわからないが、彼女の取り組み方に感銘を受けたのである。

ある時、学校の終わりに彼女と話す機会があり、「どんな勉強してるの」とか「何が目標なの」などと質問したのである。

そうしたら、「日本人と関わるなら英語学習のモチベーションが高い人がいい」と聞いた内容以前に考え方が全く同じで普通に仲良くなれそうだった。

その日はあまり長く話せなかったが、次の日にはお茶しにカフェへ向かい、2〜3時間くらい話した記憶がある。

Tim Hortonsでお茶会

彼女の名前はメグちゃん。

結果、カナダ滞在中の間1番仲良くしていた友達となるのである。

通常、クラスは4週間が1ターンになっており、1ターンの間にテストと次のコースの希望を聞かれ、レベルが達していれば、次のターンはレベルが上がり、自分の選んだコースで授業を受ける。

今のクラスも約1ヶ月後には終了し、来月はまた違うメンバーでクラスを受けることになるのだが、このクラスは良い先生と個性的なメンバーだ。

・教え方が素晴らしく、わかってないやつには「頬を引っ叩け」と冗談などもいうがものすごく優しいちょっと服のセンスがない自分の”綺麗な頭皮”をネタにする先生。

・仕事が忙しく必ず遅れてくる、いつも絶対に世代ではない肩が凝りそうな革ジャンを着た優しい18歳のブラジル人。

・本当に何も話さないけどおそらく優しい台湾人。

・自分の我が強すぎるけど子供もいて生活に必死なのだと思う中国人のおばちゃん。

・1ヶ月だけの留学だけど、パーティーや遊びによく出掛けているリア充のめちゃくちゃ良い感じの日本人。

・絶対金持ちの寛大な性格の韓国人など。

こんな感じで最初の学校生活はスタートした。

日本人との関わり方や友達作り、お金をどう節約するかなど毎日が模索の日々である。

だがそれも次第に慣れていくのであった。

さて慣れないものは皆さんもご存知の通り、ホームステイ先のご飯である。

とある日の朝食。チヂミ??

朝食は大体マザーが作ってくれる。マザーは定期的のこのチヂミなのか関西人ならわかるであろう「イカ焼き」のイカなしみたいなものである。美味しいかどうかと言われたら、まぁ食べられるという感じ。

まぁいい。

あと少しで引っ越しだから。

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